競輪は出来レースが多いって噂はホント?

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出来レースとは、レースの結果が事前に決定され、選手たちがその結果に従ってレースを行う不正な行為を指します。これは八百長の一種であり、競輪のような公正を要求される競技においては重大な違反行為とされています。

本記事では実際に競輪には出来レースのような八百長は存在するのか、そしてもし出来レースがあるとするならば、どのようにしてそれを見抜き攻略するべきなのかを説明していきます。

  • 競輪における出来レースの有無
  • 競輪のラインによる作戦をどうとらえるか?
  • 引退レースや連勝節目のレースの疑惑
目次

競輪における暗黙のルール

競輪の出来レース疑惑を考えるにあたり、まずは同じ公営競技の競馬、ボートレース、オートレースにはなく競輪にのみ存在するラインという概念を認識しなくてはなりません。ラインとは選手間同士でチームを組み、一列になって走ることを指します。本ブログの記事でも取り上げましたが競輪選手は時速約70キロを超えるスピードで走ることもあります。

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そのため競輪選手は強い空気抵抗を受けることになり、体力の激しい消耗とスピードの低下が起こってしまいます。そのために複数の選手と手を組み、協力し合い、お互いの損耗を減らしレースを優位に進めていくことを目的としてラインは組まれています。

競輪のラインにおける不正疑惑

先に説明したラインというシステムは、選手が協力して走りやすい環境と整えるためだけではなく、競輪をより一層面白くさせている一因でもあります。と、同時に我々のような車券を買う競輪ファンの視点で観ると疑惑を生み出しやすいシステムでもあります。

それは、ラインを組むという行為が競輪選手の勝敗に大きく絡む要因となってしまっているからです。同じラインの選手の間で決められた作戦やその動きが部外者から見ると予め仕組まれたと感じるような意図された動きに見えてしまうこともあります。

また競輪初心者がよく持つ先入観に「あらゆる公営競技とは、選手達の各個人での闘いである」と思い込んでしまい、競輪のラインというチームプレイそのものがなにやら仕組まれているものとして不信感を抱くこともあります。勝敗そのものは各選手の実力で成り立っていたとしても、その道中の協力を良しとする暗黙のルールが競輪にはあるのです。

競輪選手の上下関係

競輪における暗黙のルールはやはり選手同士の人間関係が大きく関わっています。例えば、師弟関係をはじめとする上下関係はその最もたるものであるといえるでしょう。

競輪には師弟関係という特有の文化があります。競輪デビューしたばかりの新人選手には、基本的に同じ地元の競輪選手会や身内などの集まりなどから師匠を探します(諸説ある)。そして弟子である新人選手はベテラン選手である師匠に競輪社会の仕組みや、競輪のトレーニング方法など様々なことを教えてもらうことになります。そのため同じレースに出場する機会があれば必然的に同じラインを組むこととなり、そのラインの中での作戦も選手の師弟関係をもとに構築されていくと予想されます。

競輪が八百長だらけと言われる理由

数あるスポーツのなか、そして公営競技のなかでも特に競輪は八百長や出来レースが多いと昔から言われています。それははたして本当なのか?またその理由とは何か?

競輪の作戦レースを知る

競輪にはラインというチームのようなものがあり、そのなかの人間関係をもとに上下関係が作られている深く関わっているというのは説明したとおりです。そのラインの選手たちが特定の戦略や作戦を用いてレースに臨むことで例えば、あえてゴール前で番手に差させたように見えたりします(実際にはそう見えただけなのか、それともその展開も作戦なのか傍から見ると区別はつかない)。

競輪は他の自転車競技と同様に、単に速さだけでなく、戦術やチームワークが重要な役割を果たすスポーツです。しかしファンの目線から見方を変えればひょっとしたら?と疑惑を持たざるを得ない展開も過去にはありました。

競輪の人情レースの存在

競輪の「人情レース」とは、通常の競走とは異なり、選手間の特定の状況や関係性に基づいて行われるレースのことを指すことがあります。例えば、引退する選手の最後のレースで他の選手がその選手を勝たせるような行動を取るケースなどがこれに該当します。これは競輪の世界特有の文化的側面の一つであり、選手間の連帯感や敬意を示す行為と見なされることがあります。

ただし、競輪は公正な競技であるべきですので、このような「人情レース」は公式には認められていない行為です。競輪はギャンブルの要素を含む公営競技であるため、レースの公平性を保つことが非常に重要です。したがって、このような行為が露見した場合、選手にはペナルティが科されることがあります。

競輪ファンの間では、このような「人情レース」に対して様々な意見があり、一部では温かみを感じる文化的要素として受け入れられている一方で、競技の公平性を損なうものとして批判的な見方も存在します。

筆者の人情レース観戦体験と出来レースの存在があるかのまとめ

最後に筆者の体験から人情レースについてお話したいと思います。

賛否両論、意見は分かれると思いますが人情レースなるものは個人的には存在すると思いますし、常日頃からレースを見ている人ならある程度認知してしまうのではないしょうか。例をあげて1番わかりやすいのが地元選手への援護です。例えば京王閣競輪場でレースがあるとします。その京王閣所属の選手がなるたけ勝ち上れるようにラインを組む他関東地区選手などが援護する、というような。

他にはあと1勝で節目のレースなんかもよくありますね。あとひとつ勝利すれば100勝や200勝みたいな。あまりにも出来レースすぎる例もありました。それはその選手が走る最後の引退レース。他の選手は地区関係なくお膳立てをする事も少なくないでしょう。しかしあからさま過ぎるとクレームが入るので上手くやるのでしょうが、成績が伴わず代謝対象になり引退する選手が最後のレースで1着ってのも首を傾げたくなりますよね。印象に残っているのがある選手の引退レース。そのレースは引退選手の人気も低くかったにも関わらず人気の先行選手が最後の直線で後を気にしつつスローダウン。まるで2番手につけてた引退選手に抜いてくれと言わんばかりに…また後の選手も誰も上がってこない始末で誰が見ても出来レースじゃないの?と思わせるレースがありました。あのレースに関してはネット民も怒ってる方々大多数いましたしおそらくクレームが殺到したんじゃないかと思います。もちろんこのレースに関してはあくまでも仮説に過ぎませんが、大多数の車券購入者やファンが同じような疑問を持ったという事はつまりそういう事の可能性が高いというお話になるのです。結論として出来レースがあるかどうかは人それぞれの視点と感性で違いはあると思います。

  1. 競輪にはラインを基に作戦を立てるのでそれが出来レースに見えることもある
  2. 競輪には人情レースと呼ばれるものがある
  3. 引退する選手が最後のレースに勝ってしまうと有終の美を飾らせようとわざと勝たせたかのように見える
  4. 実際に出来レースがあるかどうかを結論づけるのは難しい
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